荻野独園 田能村直入 合作

ID 00226

(荻野)独園承珠 オギノドクオン

1819-1895

臨済宗 相国寺派管長兼師家

 

田能村直入 タノムラチョクニュウ

1814-1907

日本画家 南画家

 

彩色観音図

慈眼視衆生 福寿海無量  萬年退耕拝賛

小虎田能村〇

 

 

 

 

 

 

 

本紙寸法 105*28.5

全体寸法 176*31

 

本紙 美麗

表装 仕立て替え済み 美麗

桐箱

 

税込価格 99,000円

退耕庵。18歳の時に豊後国の帆足万里の下で儒学を学び、 京都に上洛して相国寺の「鬼大拙」こと、大拙承演に14年参じ法を嗣ぐ。越渓守謙が妙心寺山内に僧堂を開単する運びとなり、越渓に代わり相国僧堂師家となる。明治5年には、神仏合同の大教院院長に就任し、禅宗三宗派合同の総管長となる。神道を中心とする国つくりを画策する新政府の動きに、激しく対立し、廃仏政策に激しく抵抗した。衰微した明治初期の仏教界を堅持し、仏教復興に向かわしめた禅傑。

 

田能村直入 1814-1907

富岡鉄斎とともに明治期を代表する南画家として挙げられる。画を田能村竹田に学び、その才能を認められ養子となる。江戸の文人画を正当に受け継いだ画家として知られる。初め小虎と号し、後に直入と名乗る。幕末期には、豊後から大坂に出て、大塩平八郎に陽明学を学び儒学者たちと交友を深めた。明治13年京都府画学校設立とともに、その初代校長となり、同24年には自ら南宗画学校を開いた。