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滴水宜牧 掬水月在手~
ID 00065
滴水宜牧 テキスイ ギボク
1822-1899
臨済宗 天龍寺236世管長 天龍寺塔頭慈済院 林丘寺
掬水月在手 弄花香満衣 無異老衲
水を掬すれば月手に在り、花を弄すれば香衣に満つ
本紙寸法 133*29
全体寸法 204*41
紙本清白 表具美麗
箱 桐箱
*当店で手を加えておりません。
税込価格 198,000円
無異室、晩年は雲母庵。同郡龍勝寺の大法につき出家。岡山曹源寺儀山に参ず。この時、一滴の水も活かせと儀山からの叱責と訓戒を込め滴水とする。その法を嗣ぐも、儀山の命により、儀山の法嗣の義堂昌碩に参じ、蘊奥を尽くす。明治元年、天龍寺塔頭慈済院に住し、義堂遷化の後をうけ僧堂師家、明治4年、天龍寺派管長就任。林丘寺に退居するも、同29年、峨山の請により再び管長となり、天龍中興の栄を担う。明治32年、林丘寺にて示寂。世寿78。法嗣に峩山、龍淵、龍水、東昱と優れた禅僧を輩出し、居士、在家にも山岡鉄舟、三遊亭円朝、天田愚庵、鳥尾得庵、北垣国道といった著名な人物が師を慕った。禁門の変の際、長州兵が立て籠もった天龍寺を砲撃せんとする、村田新八率いる薩摩軍の大砲の前に、憤然として立ちはだかったという。灰燼に帰した天龍寺を廃仏毀釈の考えが大いに盛り上がっていた時代に天龍寺を復興させた大功労者。
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