慈雲飲光 趙州夢
ID 00007
慈雲飲光 ジウンオンコウ
1718-1805
真言宗 摂津法楽寺 河内長栄寺
趙州夢
*箱書極め 明厳諦了
本紙寸法 21*37.5
全体寸法 106.5*46
紙本清白 表具美麗
箱書付き桐箱
税込価格 385,000円
江戸時代後期の真言宗の僧侶。号は百不知童子、葛城山人、雙龍叟。慈雲尊者と尊称される。戒律を重視し、正法律(真言律)を提唱した。能書家としても知られる。父の遺言により13歳の時に摂津の法楽寺で出家し、忍網貞紀に密教と梵語を学ぶ。16歳の時に、忍綱の命で京都に行き、伊藤東涯に儒学を学ぶ。翌年に奈良で顕教、密教、神道と宗派を問わず学び、河内の野中寺にて戒律の研究を始め、1738年具足戒を受けた。翌年には忍網から灌頂を受け、法楽寺の住職となったが、2年後に住職を同門に譲った。その後、信濃に曹洞宗の大梅を訪ねて禅を学び、印可を受ける。1744年、河内の長栄寺を再興して住職となり、初めて戒律の講義を行なったのを皮切りに、高野山や近畿各地で修行と講演を続ける。1750年、「根本僧制」を定めて正法律の復興を標榜、有馬の桂林寺で『方服図儀』を著し、袈裟の裁制を正す。1758年、『南海寄帰伝解䌫鈔』を著した後、生駒山中に隠居して研究に専念し、千巻にも及ぶ梵語研究の大著『梵学津梁』を著す。1804年、京都阿弥陀寺で示寂。