(日本語) 山本玄峰 般若

ID No: 12055

禅僧名: (山本)玄峰 宜詮 ヤマモトゲンポウ

生没年: 1866-1961

 

宗派: 臨済宗

寺院: 妙心寺 632世 元管長 

    三島龍澤寺 元僧堂師家

 

語句: 般若 九十二玄峰 共箱 昭和三十二年

            九月二十日龍澤閒棲玄峰

 

形式: ドンス縦茶掛表具

状態: 紙本シミあり 表具美麗

全体寸法: 161*32.6  本紙寸法: 82.7*30.1

箱: 共箱桐箱

 

消費税込値段: ¥162,000

 

別号・他: 般若窟と号す。紀州湯の峰の生まれ。眼病を患い、平癒を祈念して四国八十八ケ所巡礼の途上、行き倒れの身を三十三番札所高知の雪渓寺太玄に救われ、出家得度す。永源僧堂、神戸祥福僧堂、宝福僧堂、虎渓僧堂を歴参。一旦雪渓寺の住職となるも、再び円福寺に再行脚、のち見性宗般の法を嗣ぐ。50歳、三島龍沢寺の住職となり、原の松陰寺、飯山の正受庵を復興、犬山の瑞泉寺僧堂の開単に尽力す。昭和11年、満州新京の妙心寺別院を開創。昭和16年、龍澤寺に僧堂を開単。昭和22年、妙心寺派管長に就任。昭和26年、師家を法嗣中川宋淵に譲り閑栖。昭和36年示寂。下司凍月(1880-1980)明治13年高知市生まれ。14歳で種田豊水に入門し、豊水没後は柳本素石に師事した。島内松南とは兄弟弟子。明治36年に上京し、橋本雅邦、川合玉堂に師事した。襖や陶器の絵付けなどで生活しながら画道に精進した。この頃、砲兵工廠の煙突に痩せた半月がかかっているのを見て、凍える寒風の中に自分の姿を見た思いから「凍月」と号した。土陽美術会の会員としても活躍。戦後は高知県展の発展に尽力した。昭和55年、101歳で死去した。

Posted in ,